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2014年5月21日 (水)

同居親さんに、別居親の一人としてお願いしたいこと。

面会交流や共同養育にご協力頂いている同居親の皆様へ。
いつも子どもたちを大切に育ててくださり、ありがとうございます。
別居親の一人として、お願いしてみたりなんかしたいことがあります。

私たち別居親が何よりも楽しみにしている面会交流。
(まずお断りしておきますと、子どもたちはどのくらい大きくなっただろう、今度は何ができるようになっているのだろう、学校ではどんなことを習っているのだろう。。。。と、成長を目の当たりにすることが、何よりの楽しみなのです。)
面会交流の日は、仕事や用事など万障繰り合わせの上、子どもとの再会に備えます。
それが、「急に熱を出したので中止します。」となると。。。。
目の前が真っ暗になります。

ええ、勿論子どもの健康が一番ですし、子どもが高熱に苦しんでいる姿は想像しただけでも胸が痛みます。
早く良くなって、また元気なお顔見せてね、という返事をしながらも、
「何で今日なの。。。。?」とも思ってしまうわけです。
そこで、はっと我に返るのです。
「私、今、子どもの心配よりも、自分の気持ち優先させようとしたよね?」と。
いけませんよね。親として。
そこで二度目の落胆です。

同居親の皆様も、きっと「何でこんな時に限って熱を出すのよ~」と思っていらっしゃるでしょうし、
きっと子どもの看病を一生懸命してくださっていると思うのです。
お忙しいところでしょうが、面会交流の振り替え日や、子どもの回復状況などをお知らせ頂けたりすると、とても有難いです。

ただ、次回の振替日も同じように「また熱を出しました」となりますと。。。。。

心配も増すのですが、正直、「本当なの?」という気持ちにもなってしまいます。
子どもですから、年齢や季節によっては、そういうことも十分起こり得ることは承知していたとしても。。。。
本当なら本当で心配ですし。。。。。
何か力になれることがあればいいのですが。

別居親は、次の連絡を頂くまでは悶々と過ごすことになります。
仮に、わが子と会えない時期があった場合は尚更です。

繰り返します。
お忙しいところでしょうが、出来ましたら早めに面会交流の振り替え日や、子どもの回復状況などをお知らせ頂けたりすると、とても有難いのですが。。。。


これはあくまでも一人の別居親としての思いを綴ったものです。

2014年3月19日 (水)

子どもに会いたいのなら、手段を選ぶな。

夫婦関係が悪くなって、パートナーに子供を連れて出て行かれました。
あるいは、一人追い出されて家の鍵も取り上げられて、家に帰ることができなくなりました。
相手親にいくら「子供に会わせて!」と懇願したところで、会わせてくれることはありません。
会わせてくれたとしても、ほんの短い時間だとか、年に何回とか、相手親が怖い顔で見張っているとか。。。。
子供と自由に話をすることも、抱きしめることも叶いません。
そのくせ、「貴方に子供を連れ去られるのが心配なので、自由に会わせることなんてできませんよ」という言葉が返って来ることもしょっちゅうです。
どうしてこんな理不尽が許されるのでしょう?
子供と引き離された悲しみ、パートナーからの酷い仕打ち、そしてこの現状が咎められない世の中の仕組みに、怒りと絶望で心がズタズタになります。
このような状況では、とても仕事にも身が入りません。
さあどうする?

子供が一人になったところを連れて、行方をくらませる。
夜な夜な家の扉を叩き「子供を返せ!」と叫ぶ。
裁判とか人身保護請求(ができるのかどうかわからないけれども、)かなり強硬な法的手段に出る。
面会交流の調停を申し立てて何とか話し合いの場に出て来てもらえるようにする。
子供が行ってる学校の先生に穏やかに相談し、子供の様子を尋ねる。
養育費を渡してみる。
婚姻費用や慰謝料など、金銭的なコトで争いがあるならば、支払うなり諦めるなりし、そこは敢えて相手にとって有利なようにしてみる。
「立派に育児をしてくれてありがとう、感謝しています」というメッセージを相手親に送ってみる。
何年経っても、子供と自由に会える日を目指して、時期を待つ。

まあ、望ましいこと、そうでないこと、いろいろありますけれども。
それぞれ人によって、どれがベストかということも異なってくるのでしょうけれども。

今もこの「親子引き離し」で苦しんでいる親子がたくさんいることでしょう。
仕事も生活のことも手につかず、生きている心地がしないくらい苦しんでいる方も、後を経ちません。
でも、諦めないでほしいのです。例え今すぐにどうこうするのは難しくても。

親は唯一「子供を待つことのできる存在」だということを、どこかで聞いたことがあります。
「子供に会いたいのなら、手段を選ぶな」という題にしましたが、それは必ずしも「直ぐに目に見える結果を出せるようにする」ことばかりではないような気がします。
子供を待つこと、相手親の心をほぐすことも手段の一つだと思うのです。

たとえ、内心毒づくことがあったとしても、
「いつも育児お疲れ様。子供をいい子に育ててくれてありがとう。少ないけどこれ使ってね。」
というメッセージを伝えることができれば、少なくとも相手親はめちゃめちゃ悪い気はしないのではなでしょうか。
そして、子供にもそれが雰囲気で伝わり、結果的に面会もスムーズに進むようになるかもしれません。
すぐには効果が現れることでもないのかもしれませんが。

本当に子供に会いたいのなら、親はどんなことでもできるものですね。
私は何年もかかって、ようやくそれを実感することができましたので。

2013年12月31日 (火)

今年を振り返って、そしてまた来年。と思ったけど。。。。やっぱり年末のあの事件について

お陰様で、今年も無事に生き延びることができました。
個人的には今年も波乱万丈でしたが、孤独な立場になってからは特に、健康で日々を過ごすことができるありがたみをひしひしと感じます。
年齢を重ね、何でも若い頃のようにいかなくなってきたからでしょうか。

暮れに悲しいニュースを耳にしました。
小学校の校庭で、別居中の父親が子どもを巻き添えにし、自ら命を絶ったという事件。
この父親は離婚調停中だったとか、子どもとの面会交流が制限されていたというようなことが報じられています。
あまりの惨さに言葉も出ませんでしたし、それ以前にしばらくの間思考停止してしまいました。
その後、色々な思いが自分の中に沸き起こってくるのを感じました。
あくまでも個人的な考えを述べさせて頂きます。

「ほら、こんなことをするような親だから、離婚にもなるし、子どもとも会わせてもらえなかったんでしょ。」
という風に世間からは見られるんだろうな、という思いがまずありました。
このことで、別居親に対する世間の見方は益々厳しくなるのだろうな、と感じました。
こういうことをしでかす親は、子どもに会わせてはならない、というのが人としての自然な思いでしょう。
母子家庭での親子心中事件も度々報じられていますが、どんなことがあっても、我が子を手に掛けることが許されるはずはありません。

その一方、「いつかはこんな事件が起こってもおかしくはない状況だな。」ということも何となく感じていました。
毎日を一緒に過ごし、大切に思っていた子どもと理不尽に引き離されてしまった親は、まるでこの世の終わりの如く、苦しみにのたうち回ります。
子どもに会いに行くこと、育児に関わろうとすることなど、今まで親として当たり前だったことをしようとすると、逆に犯罪者、不適格な親に仕立て上げられてしまう現実もあります。
そんな状況下で正常な精神状態を保つことのできる親は、まずいないでしょう。
だからと言って、このような行いをするのは言語道断ですし、ほとんどの親は平常心を取り戻す努力をするし、子どもの親として恥ずかしくない行いをしよう、という方向に進もうとするはずです。
しかし、本当に精神を病んでしまうと…。
そうなる前に、何か救いはなかったのでしょうか?

「もし仮に、夫婦が別れても育児はこれまで通り共同で行うし、親子面会の制限もされない」という世の中だったら、このような事件は起こらなかったかもしれない、とも思います。
普段から子どもに会えて、育児にも関わって行くことができていれば、この父親も病むことはなかったでしょうし、「会わせてもらえないなら、連れ去ってくるしかない」というような、世間でよくある「実子誘拐事件」もなくなるのではないかと思いますが、甘いでしょうか。

残されたご家族のことを思うと、本当にいたたまれないことです。
愛する子どもの存在を、実に酷いやり方で永遠に奪われるという仕打ちは、想像に絶します。
また、この事件で「うちは大丈夫なんだろうか」と心配になる方も多いことでしょう。
そうなると、どうすれば防げるのかという話になるのでしょうが、別居親である私の立場からは「頻繁に面会交流を実施して、別居親が子どもと関わる機会を作ることが有効」と断言したい気持ちでいっぱいですが…難しいですね。

この事件の原因も、親自身の問題、法や制度の問題、社会の問題が絡み合っているのでしょう。
どれ一つが悪いとか、どこかだけ直せばいい、とかじゃなくって。
自分自身の中でも、色々な思いがあってすぱっと簡単に言えるものではありません。

ただ、非力な一人の別居親としては、「親として子どもに恥ずかしくない存在になりたい」「子どもがこの先人生を幸せに歩んでいくために、親として最大限応援したい」という願いに行き着くのです。

2013年11月14日 (木)

視点論点 「会えないパパ 会えないママ」田中早苗弁護士


平成19年の人口動態統計によると、離婚件数は1年間に約25万5000件、そのうち未成年者がいる割合は57%約24万5000人以上の子が親の離婚に巻き込まれています。両親の離婚に直面した子ども、特に幼い子供は「なぜパパとママは別れて住まわなければならないの?な何故ママは働きに行くようになったの?なぜママは遅くまで働くようになったの?なぜパパは会いに来てくれないの?」など、さまざまな葛藤を抱えています。

両親から子どもに離婚の理由を説明することはあまりなく、子どもにとっては離婚が「両親が離婚したのは、自分が親の言うことを聞かなかったからだ」などと、自分のせいにしがちです。したがって、子どもにはたとえ離婚したとしても、両親は子どもを愛していることにはかわりなく、いつでも連絡が取れ、会いたい時には会え、離婚は決して子どもの責任ではないことを伝えることが重要です。

しかし、日本では現実には一緒に生活していない親とは疎遠になりがちです。その原因の一つに、「単独親権制度」が挙げられます。日本では未成年の子どもがいる夫婦が離婚する場合、父又は母のどちらかを親権者に決めなければならないのです。通常は、親権者となる親が、子どもと一緒に暮らし、生活の面倒を見ることになります。他方、親権者にならなかった親は、養育費を支払ったり、子どもと面会をすることになります。しかし日本では、離婚のうち90%が協議離婚で養育費の支払いや面接交渉についての取り決めをしないことも多く、同居しない親は、子どもと疎遠になりがちです。

また、仮に裁判所の手続きで離婚し、取り決めをしても、養育費を支払わず、面会しないことも少なくありません。親権はなくても、親として子どもに対する責任はありますが、子どもと面会しないことによって、親としての責任感も薄れがちになります。反対に、離婚後も、同居していない親が、子どもとの面会を強く望んだとしても、日本では同居している親の協力と理解が得られない限り、子供との面会が実現できません。そのため、どちらが親権を獲得するのか、熾烈な争いが繰り広げられます。また、一旦親権が決まっても、両者の関係に修復できがたい亀裂が生じ、子どもに悪影響を与えかねません。また、親権の問題は離婚や慰謝料、財産分与の協議と一緒になされるので、親権を譲る代わりに慰謝料を請求するな、など、子どもの問題を金銭交渉の材料とする当事者もいます。

こういった問題の解決策のひとつが、多くの先進国でも採用されている「共同親権、共同監護制度」の採用です。共同親権制度であれば、子どもは離婚後もほぼ双方と関係を持ちやすく、親も子供に対する責任を自覚し、親双方で責任を共同し、分担できます。また、財産分与などの離婚の問題と切り離し、時間をかけて協議をすることもできます。共同親権、共同監護とは言っても、一週間のうち半分ずつ互いの家を行き来するなどの形態はすくなく、実際は子どもの主たる住居は父母のどちらかにおかれ、他方は週末や休日、長期休暇に子どもと過ごすことが多いと言われています。また、必ず共同監護とするのではなく、家庭内暴力が認められた事案などは単独監護としたり、暴力を振るっていた親に子どもとの面接交渉を認めないこともあります。ただ、親の面接が子に対して何らかの問題を持つとしても、子どもや関係者の安全を図るため、第三者の監視付きの訪問、公共の場や第三者の住居での訪問などの条件をしたり、電話や手紙による接触しか認めないなどで対応しています。

日本でも共同親権制度を取らずとも、家庭裁判所で社団法人家庭問題情報センターなどの面接援助組織を活用し、立会人つきの面接をもっと積極的に認めたり、きめ細かい訪問方法をとることは可能だと思われますが、残念なことに葛藤の激しい両親のケースでは、オールorナッシングになりがちです。カウンセリング、教育啓蒙援助組織が増えれば、日本でももっと丁寧な対応可能となるはずです。
また、そもそも離婚が子どもに与える影響や離婚後の面接交渉が子どもにとって心理的、精神的にどのような影響を与えることができるのかなど、多くの両親が学習する機会がないまま離婚しています。

アメリカでは全米的に「父母教育プログラム」が義務化し、父母教育プログラムを受けないと裁判所の審理や調停が進まないことになっています。日本でも父母が離婚後の交流について学習する必要があるとして、最高裁が当事者助言用DVD、ビデオを制作していますが、充分活用されていません。未成年者の子どもを持つ夫婦が離婚を迎える場合、学習する機会を持てば、養育費や今後の面接について取り決めをするケースが増えるでしょうし、冷静に子どもの問題を話し合う素地を作ることになるでしょう。せっかく最高裁が父母教育ビデオを製作したのですから、各地の家庭裁判所の待合室や市役所の離婚届窓口で見ることができる仕組みを作ることは今でも少ない予算でできるはずです。

子どもの権利条約には、「締約国は、児童の最善の利益に反する場合を除くほか、父母の一方又は双方から分離されている児童が定期的に父母のいずれとも人的な関係及び直接の接触を維持する権利を尊重する」と規定されています。しかし、今までお話ししたように、残念ながら日本の現状は不十分と言えるのです。そこで、今まさに離婚を考えている方がいれば、こうした両親を持つ子どもに与える絵本を参考にしてみては如何でしょう。これらの絵本は、子供向けですが、両親も読むことにより、離婚が子どもに与える影響が理解できます。最後にそのうちの一つを抜粋して紹介します。(「おうちがふたつ」を朗読)

2013年11月13日 (水)

「子どもが大きくなれば、きっと会いに来るよ。」

「男の子はママのことが好きなものだよ。だから、自分で行動できるようになれば、きっとあなたに会いに来るよ。」

子供と離れて暮らす親は、しばしばこのような言葉で励まされます。
わたしも、こんな言葉を何度言われたことでしょう。
そして、その言葉が実現するのなら、どんなに嬉しいことでしょう。

実際にその通りになった方も確かにいらっしゃいます。
中には、自力で別居親のところにたどり着いて、別居親の元で生活することを選んだ子もいます。

でも、わたしのところではそうなるだろうか?
別れた当時の子どもの年齢、性別、離れた年月、面会の状況、環境、性格をを考えると、かなり厳しいんじゃないかという気がします。

だいたいさあ。
男の子がママが好きだというのは、ちっちゃい頃のことなんじゃないか?
ある程度大きくなっても、ママ、ママとか言ってたら、それはそれで逆に心配じゃない?
例え仮にそうだったとしても、同居のパパに「ママ、ママ、言うな!」と厳しく言われたら、「ママに会いたいということは悪いことなんだな」って思うようになるだろうし。
それで長い間ママと引き離されてたら、「別にママなんていてもいなくても関係ないし」って思うようになっても不思議じゃないし。
「ママは優しくしてくれたし、ちっちゃい頃は好きだったけど、別に会いに行きたいとか今更思わないし。」って考えたりする可能性もあるだろうし。。。。
それ以前に、ママの居場所知らされてないし。生きてるかどうかさえわからないし。。。。。。
自力で探すのも大変だから、しょうがない、諦めるか。。。。

考えただけでも、母親としては切なく、子どもの気持ちを思うといたたまれなくなります。
あくまでも、これは悲観とか諦めではなく、「こういう思考をする可能性もある」という風に捉えていただけたらと思います。

ある方からこんなお話を聞きました。
離婚して、長い間子どもと会えない女性がいました。
面会交流の調停をしても、元夫の反対で子どもとの面会は叶わなかったそうです。
しかし、子どもの様子を時々学校に見に行ったりするなどし、いつも遠くから子どもの成長を見守り、幸せを願い続けていました。
やがて子どもが成人してから、子どもさんに「会いたい」と伝えたそうですが。。。。。。
結果は。。。。。。
「やっぱり、小さい頃からのちゃんとした交流をして、信頼関係を築いていないとね。」
と思ったのだそうです。

皆様はどう思われるでしょうか?
それでもなお、冒頭のような言葉で慰めようとするものでしょうか。

2013年10月30日 (水)

マイナスの感情と上手に向き合おう

親子引き離し問題当事者の集まりに行くと、毎回新しい当事者の方に出会います。
わたしがこの手の集まりに参加するようになって長くなりますが、その間にも酷い経験をし、理不尽な思いをされる方が後を絶たないこと。
各地で陳情や啓発活動が行われ、マスコミでも取り上げられる機会が増えましたが、理不尽に引き裂かれる親子は増え続けています。

離婚や別居で、愛する子どもと引き離されることは、引き離された親にとっては、死刑宣告にも等しいこと。
いえ、本当に命を絶たれた方もおられます。
その一方で、陳情や請願、支援活動に力を注ぐ当事者の方も多数いらっしゃいます。

彼らは何かが違うのでしょうか?

当事者の多くは、信頼していたパートナーからの裏切り、子どもと引き離された悲しみ、引き離された親には救いのない社会、そしてそんな親に対する、世間の目の冷たさなどを経験し、とても傷ついています。
しかし、多くの方はそんな感情を胸に秘め、前向きな態度で問題に向き合っておられます。
それは是非見習いたいものです。
その一方で、いつまでたっても現状を受容できず、ひたすら怒りを表されるだけの方もおられます。
相手が悪い、裁判所が悪い、社会が悪い、日本が悪い。。。。
勿論そういった現実もないことはないのでしょうが、あまりにもそれを強調されると。。。。。
何というか、救われない気持ちになります。

ただ、余りにも理不尽な現状に直面すると、怒りの感情を持つのは当然のことなんですよね。
あと、「なんで自分だけ。。。」とか、「誰も自分のことを助けてくれない」とか、「こんなに子どものことを思いながら今まで大切に育ててきたのに、何故悪者扱いされなきゃいけないの」とか。
誰でも最初から前向きにこの問題に向き合って行くことは難しいことでしょう。

例えばですが、不治の病を宣告されたなど、自分にとってショッキングな出来事に直面したとします。
その場合、次のプロセスたどるんですって。

1・否認
「自分がもうすぐ病気で死ぬなんて、あり得ない」「それは何かの間違いだ」という思い

2・怒り
「何で薬飲んだりしんどい治療受けたりしてるのに治らないの!」「なんで自分がこんなわけのわからない病気になるの!」という思い

3・取引
「これから大好きなケーキ食べるのやめますから、神様どうか私を助けて」という思い

4・抑鬱
「何をやってもダメですか。。。。はあ。」などと無力感に打ちひしがれる思い

5・受容
「運命が変わらないのなら、まだ元気のあるうちに、これからお世話になった皆さんに伝えたいことを伝えよう」という思い

これらのプロセスは大体順番に経験することが多いそうですが、個人によってその時間や順番はそれぞれであり、中には行ったり来たりする場合もあるそうです。

なんだか、否認や怒りの気持ちを充分に表出し、他者から受容してもらうことによって、受容のプロセスへと進んでいける、みたいな話も聞いたことがあります。
苦しみの渦中にある人に「傾聴」が有効であるのは、そのあたりの考え方からのようです。

以上はキューブラ・ロスの「死の受容」の理論を自分なりに理解したものですが、他に正しい解釈などがあるのかもしれません。


話を戻します。
子どもと引き離された親が「辛い」「寂しい」「悲しい」「許せない」「どうしていいかわからない」という気持ちを表出すると、「甘えるな」「子どもは何倍も辛いのだから親はそんなこと言うな」「そんな愚痴愚痴言う親の姿をみたら子どもはどう思うか考えろ」「そうして人のせいにばかりするから、相手も逃げて行ったんだ」と返されることがよくあります。
極めつけは「そうやってネガティブなことばかり言うな。余計不幸を引き寄せるぞ」。
こうして、苦しみを口に出すことすら許されないことって、結構あります。
相手は聞くのが嫌だったのかもしれないし、逆に元気付けようという思いがあったのかもしれませんが。。。。

確かに、「否認」「怒り」「抑鬱」の言葉を聞かされる相手はしんどいかも知れない。
でも、それを誰かに少しでも受け止めてもらえることで、前向きになる力が湧いてくるものかもしれません。
身近に事情を理解してくれる友達や家族などがいればベストですが、こういう立場になると、交友範囲が狭まるなど、孤独になりがちでもあります。
どうでしょう、こういう場合にこそ、カウンセラーや街の占い師さん、飲み屋のお姉さんや行きつけのバーのマスターなどの力を借りるのは。

2013年6月24日 (月)

続「自覚がない」 反響をいただきましたので。

先日の日記について、このようなコメントを頂きました。

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>もしかしたら知らず識らずのうちに奥さんを傷つけるような言動をしてしまって

女性は「知らず識らずのうちに旦那さんを傷つけるような言動」はないのでしょうか?
男性でも女性でもしらずうちに傷つける事をしてしまうのは、
100人いたら100人当てはまると思います。

まるでロボットのような100%私は相手を傷つけませんって人が
いるとは思えない・・・

知らぬ間に傷つけていて「あなたはDV加害者です」といわれたら
納得できますか?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


まさにその通りだと思います。
先日の日記はあれで終わってしまいましたが、逆方向でも考える必要があるなと思っていました。

私の方も、自覚なしに相手を傷つけていたかもしれません。
「自分はこういうことでは怒ったりしないから相手にそのように言ったけど、相手にとってはそうではなかったらしく、その結果切れられた」
ということも多くありました。
「自分だったらこうして欲しい」と思うことをしたとしても、相手の価値観がまるで違うことがあり、その結果相手を怒らせてしまったということもありました。

自分の何がいけないんだろう
何が気に入らないの?
どうしたら気に入ってくれるの?
それとも、私の存在自体が既にダメ?
相手が私じゃなかったら、あなたは優しい人のままだったの?
もしかして、自分にはどんな男性でもDV男に変えてしまう素質があるの?
私はどうしたらいいの?どうしたら切れるのやめてくれる?

それを考えると、益々相手のことも、そして自分のことも怖くなり、信じられなくなりました。
そして相手とは関わりたくないという気持ちが生じてしまい、コミュニケーション不足になり、
相手はそれを察知してますますイライラし、些細なことでも爆発するようになるしで、益々悪循環でした。

本当に私には自覚がありませんでした。
ごく普通のことを、普通に相手にしているだけなのに。。という感覚です。
だから、もしかしたら相手もそういう感覚で私に手をあげていたのかなって。
お互い様なのかもしれません。


だからと言って、相手に暴力をふるっていいとか、声を荒げていいとか、そういうことにはならないと思います。
私だって、相手がどうして嫌だったのか、ほんとうはどうして欲しかったのか、それを理解して、明らかに自分が悪ければ謝って、相手といい関係を築きたかったのですから。

「知らず知らずのうちに相手を傷つけること」
普段からそういうことがないように心がけています。
つまりそれは自分が人を傷つけているという自覚がないということ、それがとても恐ろしいことだと思うのは私だけでしょうか。

2013年6月21日 (金)

「自覚がない」

報道でハーグ条約、親子引き離し問題について取り上げられる機会も増え、多くの方に問題の深刻さを知っていただけるようにはなりましたが。。。。

最近、全国の「子どもに会えない親の集まり」では、続々と新しい当事者が来られると聞いています。
やはり、男性が圧倒的に多いそうです。
しかも、「DVをでっち上げられて、突然保護命令出されて。。。」というケースが。

少し前の私なら、
「そんなにDVでっち上げって多いの?同じ母親として許せない」
と言ってたと思います。


でも、最近その考えが変わる出来事に遭遇しました。

「お前そんなのもわからないのか!何回も言っただろう!ほんとお前はダメだな!」
こどもが追い詰められ、泣き出すほどにきつい物言いをする元パートナー。
何と、面会交流の時に、こどもにもそんな言葉を投げつけている場面に遭遇してしまいました。
私のことは殴り暴言を吐きたくなるほど憎かったとしても、とっても可愛がっていたこどもにはそんなことしないだろう、と思っていただけに、ショックでした。。。

私はその余りにも一方的で高圧的な言い方に圧倒され、自分のことを全否定されて。。。。
しまいには自分が悪くないことでも謝らなければ、執拗に責め続ける。
思い出したくなかったことが、一気に心の中に噴き出してきました。
なぐられ、蹴られたことすらありありと蘇ってきます。

あれから何年も経ったはずなのに、私は動悸と震えが止まりませんでした。
父の暴言に、目の前で怯えるこども。
私はこどもの気をこちらにそらし、大丈夫だよ、落ち着いて、というサインを送るのがやっとでした。

健全な夫婦関係であれば、あなたそれちょっと言い過ぎじゃない?とか言うところでしょうが、
ここでまた私が余計なことを言って、相手がまた逆上したりすれば、また面会交流すらできなくなってしまう可能性が高いと容易に想像できました。
こどもに会えなくなるようなことは、極力避けたいものです。

(それ以前に、面会交流支援の第三者機関を入れたいところなんですが、ここはそういうのが整備されていない地方だし、そもそも相手方の許可を得られない可能性が高い時点で無理。。。)

話を戻します。
私は元パートナーの様子を見て、
「この人、全然反省してないんだな。自分の言葉がどれだけ人を傷つけてるか、自覚ないんだな。」
と落胆しました。
なるほど、女性センターでは「DV加害者は絶対に治りません。」と断言するのも無理はありません。

なので、もしかしたら知らず識らずのうちに奥さんを傷つけるような言動をしてしまっていて、我慢の限界を超えた奥さんに、ある日こどもを連れて出ていかれて、更に保護命令を出されるという方もいるのかな、と想像します。

私の例でも、もし自分がこどもを連れて出て行ったとしても。
元パートナーから、「でっち上げDVやられました。」って言われるんじゃないかな。。。。。

もちろん、DVは男性から女性に限った話ではないと思っていますし、
たとえもし本当にあったとしても、親子の関係は断つべきではないと思っているという前提での話です。

自分がされて嫌なことは、人にはしない。それは人間関係の基本のはず。
でも、その許容範囲が男女、個人間で大きく違いすぎるのかな?
難しいことです。

2013年6月 2日 (日)

報道について思うこと。

ついに「ハーグ条約批准」が決まりました。
これまでの長い間、遠い国にいる子どもたちと引き離されてきた国際離婚当事者にとっては、大きな一歩となることでしょう。
そして、国内でも単独親権制度から、海外と同様の共同親権制度を望む声が高まってきています。
条約加盟ですぐに多くのことが解決できるわけではないのでしょうが、マスコミで取り上げられることも増え、「親子引き離し問題」の深刻さがひろく知られるようになってきました。

そういえば、以前ある女性当事者が「マスコミに取り上げてもらうのはいいけど。。。どうも腑に落ちない。」と話しているのを聞きました。

彼女は、調停条項で子どもとの面会交流が決まっているにもかかわらず、父親と全く連絡が取れず、約束の場所に行っても子どもが来ず、面会交流がすっぽかされ続けているという状況でした。
その度に「今日も来なかった」というとても痛々しい内容の書き込みがあり、慰めの言葉も見つかりませんでした。
ある時、彼女はあるテレビの取材を受けることになりました。
そこで、彼女の身に今まで起こったことを記者に話したそうです。

夫の浮気発覚がきっかけで、夫の暴力やモラハラが酷くなり、不眠や鬱状態などの症状が出たこと。
事態は好転せず、絶望と孤独の中で子どもを心の支えにして生活していたけれども、症状が悪化して、ついに病院に担ぎ込まれ、そのまま別居になってしまったこと。
女性センターや弁護士に相談しても、「母親ならなぜ子どもを連れて出てこないの。それが出来ないような弱い母親は、どうしようもない。諦めて再婚でもしなさい。それか、何としてでも戻って、子どもを連れ出しなさい。」という回答しかなかったこと。
彼女は、夫の暴力や浮気がなくなってお互いに落ち着けば、また親子で生活できるようになると信じて、強い意思で鬱状態を治し、社会復帰を果たしたこと。
にもかかわらず、夫の態度は硬化し、長い間子どもと引き離され、調停にも応じなかったりして、子どもとの再会がなかなか果たせなかったこと。
この状態で離婚しても、親権は夫の方に行ってしまう。再婚すれば益々会えなくなってしまうだろうし、万一虐待があって、児童相談所に保護されるようなことがあったとしても、親権を持たない親には何も連絡がないだろう、それならば、離婚せず別居の親権者のままでいよう、と決意したこと。
苦労の末、「月1回、2時間、夫の立会いつきの面会交流」という調停条項が定められたのに、直前のドタキャンなどに振り回され、精神的なダメージが大きかったこと。
そもそも、暴力を振るわれた相手と顔を合わせるということもきつく、第三者の支援が欲しかったのに、地方住まいのため、近所にそのような機関がなかったこと。
それでも、彼女は子どもと精一杯楽しい時を過ごすために努力していたこと。
毎回、子どもとは楽しく愉快で幸せな時間を過ごしていたこと。
引き離されてはいても、子どもは母親のことを忘れないでいてくれたこと。。。

記者の方はとても熱心に聞いてくださったそうです。
しかし、いざ放送されるという段になると。
「すみません、DV案件に関しては、相手の言い分を聞かないと。勿論、貴方のことを疑っているわけではないのですが。。。」
とのこと。
彼女は悩んだそうです。
別居に至った原因は、嘘ではない。
でも、だからこそ、相手が逆上するのではないか。
ますます子どもと会えなくされるのではないか。
ということで、彼女は相手方に対する取材をお断りしたそうです。
ここで没になるんだろうな、と彼女は思ったそうです。

しかし、「面会交流ができずに苦しむ親が存在しているという現実があること」を伝えるために、彼女のコトが取り上げられることになりました。
そして、彼女が面会交流の約束の場所で待っているのに、子どもが現れず、嘆いている場面が放送されました。

放送の内容はとても良く、「3組に1組の夫婦が離婚に至り、親の離婚で子どもが不利益を被る現実が多くある」ということがとても良く理解できる内容でした。
そう、これからの離婚は、子どもの心を大切にしなければならないという流れになっていくでしょう。

しかし、彼女は番組への反響を目にし、落胆していた様子でした。
「あれ?私って離婚してたっけ?」
聞くと、「自分らの勝手で離婚して子供を捨てておいて、会えなくて悲しいなんて自分勝手な親だ」という趣旨の書込みがあったそうです。
確かに、彼女の事情にまつわるエピソードはすべてカットされていました。

「でも、子どもにしてみれば、確かに夫婦にDVがあったとか、親が浮気してたとか、関係ないんだよね。ちゃんと親は親の役割を果たしてくれたら、それでいいのかもしれないね。」
彼女の言葉には納得できると思いました。
いや、私も親の離婚を経験していないので、子ども達の気持ちは想像するしかないのですが。。。


2013年1月 3日 (木)

「悲劇のヒロイン」

昔、わたしは典型的ないじめられっこでした。
見た目もかわいくないし、運動神経もダメ、気も弱く、泣き虫。
口げんかを仕掛けられても、言い返せるほど頭の回転が早いわけでもなく。
手先も器用ではなく、何でこんな簡単なことができないのって、何度もバカにされました。

年頃になると、男子からはからかいの恰好のネタに。
ずっとこんなので育ってきたから、自分に自信が持てず、就職もうまくいかず。。。。

でも、わたしは信じてました。
ブスでバカで不器用で何も取り柄がないこんなわたしでも好きだと言ってくれる、素晴らしい男性がいつか現れるに違いない。
バカで無能でも、いつかわたしの頑張りを認めてくれ、わたしを必要としてくれる職場が見つかるに違いない。

何の根拠もないけれど、そんな楽観的思想を抱いてました。

その結果。。。。
最初に勤めた職場ではいじめられ、不可能な仕事を押し付けられ、やめざるを得なくなりました。
こんなわたしでも好きだと言ってくれる人に出会い、結婚したけれど。。。。
結局、その人は他の人に心を奪われ、いじめられ、追い出されてしまうことになりました。


なぜだろう。
わたし、こんなに頑張ってるのにって。。。。
何で?何が悪いの?
わかりませんでした。

今でもわかりません。
ただ、自分がバカでブスで何も取り柄がないっていうアピールをしてたから、
相手もわたしのことを、そんな人間だとラベリングしたに過ぎないんでしょうね。

こいつはバカでブスで無能だから、いじめたっていい、バカをバカにして何が悪いって。
こんな奴、どうせ他に相手にする男なんていないし、雇おうとする職場もないに決まってる。
だから、こいつは他に行くところがないはず。。。。って。

それに気づいた時、自分を卑下するのはやめようって、本気で思いました。

ちょっと気が付くのが遅すぎました。
残念です。

人より遅い、人生の再スタートを始めたばかりのわたしです。

«子どもと会えてる当事者、会えていない当事者

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