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日記・コラム・つぶやき

2013年12月31日 (火)

今年を振り返って、そしてまた来年。と思ったけど。。。。やっぱり年末のあの事件について

お陰様で、今年も無事に生き延びることができました。
個人的には今年も波乱万丈でしたが、孤独な立場になってからは特に、健康で日々を過ごすことができるありがたみをひしひしと感じます。
年齢を重ね、何でも若い頃のようにいかなくなってきたからでしょうか。

暮れに悲しいニュースを耳にしました。
小学校の校庭で、別居中の父親が子どもを巻き添えにし、自ら命を絶ったという事件。
この父親は離婚調停中だったとか、子どもとの面会交流が制限されていたというようなことが報じられています。
あまりの惨さに言葉も出ませんでしたし、それ以前にしばらくの間思考停止してしまいました。
その後、色々な思いが自分の中に沸き起こってくるのを感じました。
あくまでも個人的な考えを述べさせて頂きます。

「ほら、こんなことをするような親だから、離婚にもなるし、子どもとも会わせてもらえなかったんでしょ。」
という風に世間からは見られるんだろうな、という思いがまずありました。
このことで、別居親に対する世間の見方は益々厳しくなるのだろうな、と感じました。
こういうことをしでかす親は、子どもに会わせてはならない、というのが人としての自然な思いでしょう。
母子家庭での親子心中事件も度々報じられていますが、どんなことがあっても、我が子を手に掛けることが許されるはずはありません。

その一方、「いつかはこんな事件が起こってもおかしくはない状況だな。」ということも何となく感じていました。
毎日を一緒に過ごし、大切に思っていた子どもと理不尽に引き離されてしまった親は、まるでこの世の終わりの如く、苦しみにのたうち回ります。
子どもに会いに行くこと、育児に関わろうとすることなど、今まで親として当たり前だったことをしようとすると、逆に犯罪者、不適格な親に仕立て上げられてしまう現実もあります。
そんな状況下で正常な精神状態を保つことのできる親は、まずいないでしょう。
だからと言って、このような行いをするのは言語道断ですし、ほとんどの親は平常心を取り戻す努力をするし、子どもの親として恥ずかしくない行いをしよう、という方向に進もうとするはずです。
しかし、本当に精神を病んでしまうと…。
そうなる前に、何か救いはなかったのでしょうか?

「もし仮に、夫婦が別れても育児はこれまで通り共同で行うし、親子面会の制限もされない」という世の中だったら、このような事件は起こらなかったかもしれない、とも思います。
普段から子どもに会えて、育児にも関わって行くことができていれば、この父親も病むことはなかったでしょうし、「会わせてもらえないなら、連れ去ってくるしかない」というような、世間でよくある「実子誘拐事件」もなくなるのではないかと思いますが、甘いでしょうか。

残されたご家族のことを思うと、本当にいたたまれないことです。
愛する子どもの存在を、実に酷いやり方で永遠に奪われるという仕打ちは、想像に絶します。
また、この事件で「うちは大丈夫なんだろうか」と心配になる方も多いことでしょう。
そうなると、どうすれば防げるのかという話になるのでしょうが、別居親である私の立場からは「頻繁に面会交流を実施して、別居親が子どもと関わる機会を作ることが有効」と断言したい気持ちでいっぱいですが…難しいですね。

この事件の原因も、親自身の問題、法や制度の問題、社会の問題が絡み合っているのでしょう。
どれ一つが悪いとか、どこかだけ直せばいい、とかじゃなくって。
自分自身の中でも、色々な思いがあってすぱっと簡単に言えるものではありません。

ただ、非力な一人の別居親としては、「親として子どもに恥ずかしくない存在になりたい」「子どもがこの先人生を幸せに歩んでいくために、親として最大限応援したい」という願いに行き着くのです。

2013年11月13日 (水)

「子どもが大きくなれば、きっと会いに来るよ。」

「男の子はママのことが好きなものだよ。だから、自分で行動できるようになれば、きっとあなたに会いに来るよ。」

子供と離れて暮らす親は、しばしばこのような言葉で励まされます。
わたしも、こんな言葉を何度言われたことでしょう。
そして、その言葉が実現するのなら、どんなに嬉しいことでしょう。

実際にその通りになった方も確かにいらっしゃいます。
中には、自力で別居親のところにたどり着いて、別居親の元で生活することを選んだ子もいます。

でも、わたしのところではそうなるだろうか?
別れた当時の子どもの年齢、性別、離れた年月、面会の状況、環境、性格をを考えると、かなり厳しいんじゃないかという気がします。

だいたいさあ。
男の子がママが好きだというのは、ちっちゃい頃のことなんじゃないか?
ある程度大きくなっても、ママ、ママとか言ってたら、それはそれで逆に心配じゃない?
例え仮にそうだったとしても、同居のパパに「ママ、ママ、言うな!」と厳しく言われたら、「ママに会いたいということは悪いことなんだな」って思うようになるだろうし。
それで長い間ママと引き離されてたら、「別にママなんていてもいなくても関係ないし」って思うようになっても不思議じゃないし。
「ママは優しくしてくれたし、ちっちゃい頃は好きだったけど、別に会いに行きたいとか今更思わないし。」って考えたりする可能性もあるだろうし。。。。
それ以前に、ママの居場所知らされてないし。生きてるかどうかさえわからないし。。。。。。
自力で探すのも大変だから、しょうがない、諦めるか。。。。

考えただけでも、母親としては切なく、子どもの気持ちを思うといたたまれなくなります。
あくまでも、これは悲観とか諦めではなく、「こういう思考をする可能性もある」という風に捉えていただけたらと思います。

ある方からこんなお話を聞きました。
離婚して、長い間子どもと会えない女性がいました。
面会交流の調停をしても、元夫の反対で子どもとの面会は叶わなかったそうです。
しかし、子どもの様子を時々学校に見に行ったりするなどし、いつも遠くから子どもの成長を見守り、幸せを願い続けていました。
やがて子どもが成人してから、子どもさんに「会いたい」と伝えたそうですが。。。。。。
結果は。。。。。。
「やっぱり、小さい頃からのちゃんとした交流をして、信頼関係を築いていないとね。」
と思ったのだそうです。

皆様はどう思われるでしょうか?
それでもなお、冒頭のような言葉で慰めようとするものでしょうか。

2013年10月30日 (水)

マイナスの感情と上手に向き合おう

親子引き離し問題当事者の集まりに行くと、毎回新しい当事者の方に出会います。
わたしがこの手の集まりに参加するようになって長くなりますが、その間にも酷い経験をし、理不尽な思いをされる方が後を絶たないこと。
各地で陳情や啓発活動が行われ、マスコミでも取り上げられる機会が増えましたが、理不尽に引き裂かれる親子は増え続けています。

離婚や別居で、愛する子どもと引き離されることは、引き離された親にとっては、死刑宣告にも等しいこと。
いえ、本当に命を絶たれた方もおられます。
その一方で、陳情や請願、支援活動に力を注ぐ当事者の方も多数いらっしゃいます。

彼らは何かが違うのでしょうか?

当事者の多くは、信頼していたパートナーからの裏切り、子どもと引き離された悲しみ、引き離された親には救いのない社会、そしてそんな親に対する、世間の目の冷たさなどを経験し、とても傷ついています。
しかし、多くの方はそんな感情を胸に秘め、前向きな態度で問題に向き合っておられます。
それは是非見習いたいものです。
その一方で、いつまでたっても現状を受容できず、ひたすら怒りを表されるだけの方もおられます。
相手が悪い、裁判所が悪い、社会が悪い、日本が悪い。。。。
勿論そういった現実もないことはないのでしょうが、あまりにもそれを強調されると。。。。。
何というか、救われない気持ちになります。

ただ、余りにも理不尽な現状に直面すると、怒りの感情を持つのは当然のことなんですよね。
あと、「なんで自分だけ。。。」とか、「誰も自分のことを助けてくれない」とか、「こんなに子どものことを思いながら今まで大切に育ててきたのに、何故悪者扱いされなきゃいけないの」とか。
誰でも最初から前向きにこの問題に向き合って行くことは難しいことでしょう。

例えばですが、不治の病を宣告されたなど、自分にとってショッキングな出来事に直面したとします。
その場合、次のプロセスたどるんですって。

1・否認
「自分がもうすぐ病気で死ぬなんて、あり得ない」「それは何かの間違いだ」という思い

2・怒り
「何で薬飲んだりしんどい治療受けたりしてるのに治らないの!」「なんで自分がこんなわけのわからない病気になるの!」という思い

3・取引
「これから大好きなケーキ食べるのやめますから、神様どうか私を助けて」という思い

4・抑鬱
「何をやってもダメですか。。。。はあ。」などと無力感に打ちひしがれる思い

5・受容
「運命が変わらないのなら、まだ元気のあるうちに、これからお世話になった皆さんに伝えたいことを伝えよう」という思い

これらのプロセスは大体順番に経験することが多いそうですが、個人によってその時間や順番はそれぞれであり、中には行ったり来たりする場合もあるそうです。

なんだか、否認や怒りの気持ちを充分に表出し、他者から受容してもらうことによって、受容のプロセスへと進んでいける、みたいな話も聞いたことがあります。
苦しみの渦中にある人に「傾聴」が有効であるのは、そのあたりの考え方からのようです。

以上はキューブラ・ロスの「死の受容」の理論を自分なりに理解したものですが、他に正しい解釈などがあるのかもしれません。


話を戻します。
子どもと引き離された親が「辛い」「寂しい」「悲しい」「許せない」「どうしていいかわからない」という気持ちを表出すると、「甘えるな」「子どもは何倍も辛いのだから親はそんなこと言うな」「そんな愚痴愚痴言う親の姿をみたら子どもはどう思うか考えろ」「そうして人のせいにばかりするから、相手も逃げて行ったんだ」と返されることがよくあります。
極めつけは「そうやってネガティブなことばかり言うな。余計不幸を引き寄せるぞ」。
こうして、苦しみを口に出すことすら許されないことって、結構あります。
相手は聞くのが嫌だったのかもしれないし、逆に元気付けようという思いがあったのかもしれませんが。。。。

確かに、「否認」「怒り」「抑鬱」の言葉を聞かされる相手はしんどいかも知れない。
でも、それを誰かに少しでも受け止めてもらえることで、前向きになる力が湧いてくるものかもしれません。
身近に事情を理解してくれる友達や家族などがいればベストですが、こういう立場になると、交友範囲が狭まるなど、孤独になりがちでもあります。
どうでしょう、こういう場合にこそ、カウンセラーや街の占い師さん、飲み屋のお姉さんや行きつけのバーのマスターなどの力を借りるのは。

2013年6月21日 (金)

「自覚がない」

報道でハーグ条約、親子引き離し問題について取り上げられる機会も増え、多くの方に問題の深刻さを知っていただけるようにはなりましたが。。。。

最近、全国の「子どもに会えない親の集まり」では、続々と新しい当事者が来られると聞いています。
やはり、男性が圧倒的に多いそうです。
しかも、「DVをでっち上げられて、突然保護命令出されて。。。」というケースが。

少し前の私なら、
「そんなにDVでっち上げって多いの?同じ母親として許せない」
と言ってたと思います。


でも、最近その考えが変わる出来事に遭遇しました。

「お前そんなのもわからないのか!何回も言っただろう!ほんとお前はダメだな!」
こどもが追い詰められ、泣き出すほどにきつい物言いをする元パートナー。
何と、面会交流の時に、こどもにもそんな言葉を投げつけている場面に遭遇してしまいました。
私のことは殴り暴言を吐きたくなるほど憎かったとしても、とっても可愛がっていたこどもにはそんなことしないだろう、と思っていただけに、ショックでした。。。

私はその余りにも一方的で高圧的な言い方に圧倒され、自分のことを全否定されて。。。。
しまいには自分が悪くないことでも謝らなければ、執拗に責め続ける。
思い出したくなかったことが、一気に心の中に噴き出してきました。
なぐられ、蹴られたことすらありありと蘇ってきます。

あれから何年も経ったはずなのに、私は動悸と震えが止まりませんでした。
父の暴言に、目の前で怯えるこども。
私はこどもの気をこちらにそらし、大丈夫だよ、落ち着いて、というサインを送るのがやっとでした。

健全な夫婦関係であれば、あなたそれちょっと言い過ぎじゃない?とか言うところでしょうが、
ここでまた私が余計なことを言って、相手がまた逆上したりすれば、また面会交流すらできなくなってしまう可能性が高いと容易に想像できました。
こどもに会えなくなるようなことは、極力避けたいものです。

(それ以前に、面会交流支援の第三者機関を入れたいところなんですが、ここはそういうのが整備されていない地方だし、そもそも相手方の許可を得られない可能性が高い時点で無理。。。)

話を戻します。
私は元パートナーの様子を見て、
「この人、全然反省してないんだな。自分の言葉がどれだけ人を傷つけてるか、自覚ないんだな。」
と落胆しました。
なるほど、女性センターでは「DV加害者は絶対に治りません。」と断言するのも無理はありません。

なので、もしかしたら知らず識らずのうちに奥さんを傷つけるような言動をしてしまっていて、我慢の限界を超えた奥さんに、ある日こどもを連れて出ていかれて、更に保護命令を出されるという方もいるのかな、と想像します。

私の例でも、もし自分がこどもを連れて出て行ったとしても。
元パートナーから、「でっち上げDVやられました。」って言われるんじゃないかな。。。。。

もちろん、DVは男性から女性に限った話ではないと思っていますし、
たとえもし本当にあったとしても、親子の関係は断つべきではないと思っているという前提での話です。

自分がされて嫌なことは、人にはしない。それは人間関係の基本のはず。
でも、その許容範囲が男女、個人間で大きく違いすぎるのかな?
難しいことです。

2013年6月 2日 (日)

報道について思うこと。

ついに「ハーグ条約批准」が決まりました。
これまでの長い間、遠い国にいる子どもたちと引き離されてきた国際離婚当事者にとっては、大きな一歩となることでしょう。
そして、国内でも単独親権制度から、海外と同様の共同親権制度を望む声が高まってきています。
条約加盟ですぐに多くのことが解決できるわけではないのでしょうが、マスコミで取り上げられることも増え、「親子引き離し問題」の深刻さがひろく知られるようになってきました。

そういえば、以前ある女性当事者が「マスコミに取り上げてもらうのはいいけど。。。どうも腑に落ちない。」と話しているのを聞きました。

彼女は、調停条項で子どもとの面会交流が決まっているにもかかわらず、父親と全く連絡が取れず、約束の場所に行っても子どもが来ず、面会交流がすっぽかされ続けているという状況でした。
その度に「今日も来なかった」というとても痛々しい内容の書き込みがあり、慰めの言葉も見つかりませんでした。
ある時、彼女はあるテレビの取材を受けることになりました。
そこで、彼女の身に今まで起こったことを記者に話したそうです。

夫の浮気発覚がきっかけで、夫の暴力やモラハラが酷くなり、不眠や鬱状態などの症状が出たこと。
事態は好転せず、絶望と孤独の中で子どもを心の支えにして生活していたけれども、症状が悪化して、ついに病院に担ぎ込まれ、そのまま別居になってしまったこと。
女性センターや弁護士に相談しても、「母親ならなぜ子どもを連れて出てこないの。それが出来ないような弱い母親は、どうしようもない。諦めて再婚でもしなさい。それか、何としてでも戻って、子どもを連れ出しなさい。」という回答しかなかったこと。
彼女は、夫の暴力や浮気がなくなってお互いに落ち着けば、また親子で生活できるようになると信じて、強い意思で鬱状態を治し、社会復帰を果たしたこと。
にもかかわらず、夫の態度は硬化し、長い間子どもと引き離され、調停にも応じなかったりして、子どもとの再会がなかなか果たせなかったこと。
この状態で離婚しても、親権は夫の方に行ってしまう。再婚すれば益々会えなくなってしまうだろうし、万一虐待があって、児童相談所に保護されるようなことがあったとしても、親権を持たない親には何も連絡がないだろう、それならば、離婚せず別居の親権者のままでいよう、と決意したこと。
苦労の末、「月1回、2時間、夫の立会いつきの面会交流」という調停条項が定められたのに、直前のドタキャンなどに振り回され、精神的なダメージが大きかったこと。
そもそも、暴力を振るわれた相手と顔を合わせるということもきつく、第三者の支援が欲しかったのに、地方住まいのため、近所にそのような機関がなかったこと。
それでも、彼女は子どもと精一杯楽しい時を過ごすために努力していたこと。
毎回、子どもとは楽しく愉快で幸せな時間を過ごしていたこと。
引き離されてはいても、子どもは母親のことを忘れないでいてくれたこと。。。

記者の方はとても熱心に聞いてくださったそうです。
しかし、いざ放送されるという段になると。
「すみません、DV案件に関しては、相手の言い分を聞かないと。勿論、貴方のことを疑っているわけではないのですが。。。」
とのこと。
彼女は悩んだそうです。
別居に至った原因は、嘘ではない。
でも、だからこそ、相手が逆上するのではないか。
ますます子どもと会えなくされるのではないか。
ということで、彼女は相手方に対する取材をお断りしたそうです。
ここで没になるんだろうな、と彼女は思ったそうです。

しかし、「面会交流ができずに苦しむ親が存在しているという現実があること」を伝えるために、彼女のコトが取り上げられることになりました。
そして、彼女が面会交流の約束の場所で待っているのに、子どもが現れず、嘆いている場面が放送されました。

放送の内容はとても良く、「3組に1組の夫婦が離婚に至り、親の離婚で子どもが不利益を被る現実が多くある」ということがとても良く理解できる内容でした。
そう、これからの離婚は、子どもの心を大切にしなければならないという流れになっていくでしょう。

しかし、彼女は番組への反響を目にし、落胆していた様子でした。
「あれ?私って離婚してたっけ?」
聞くと、「自分らの勝手で離婚して子供を捨てておいて、会えなくて悲しいなんて自分勝手な親だ」という趣旨の書込みがあったそうです。
確かに、彼女の事情にまつわるエピソードはすべてカットされていました。

「でも、子どもにしてみれば、確かに夫婦にDVがあったとか、親が浮気してたとか、関係ないんだよね。ちゃんと親は親の役割を果たしてくれたら、それでいいのかもしれないね。」
彼女の言葉には納得できると思いました。
いや、私も親の離婚を経験していないので、子ども達の気持ちは想像するしかないのですが。。。


2013年1月 3日 (木)

「悲劇のヒロイン」

昔、わたしは典型的ないじめられっこでした。
見た目もかわいくないし、運動神経もダメ、気も弱く、泣き虫。
口げんかを仕掛けられても、言い返せるほど頭の回転が早いわけでもなく。
手先も器用ではなく、何でこんな簡単なことができないのって、何度もバカにされました。

年頃になると、男子からはからかいの恰好のネタに。
ずっとこんなので育ってきたから、自分に自信が持てず、就職もうまくいかず。。。。

でも、わたしは信じてました。
ブスでバカで不器用で何も取り柄がないこんなわたしでも好きだと言ってくれる、素晴らしい男性がいつか現れるに違いない。
バカで無能でも、いつかわたしの頑張りを認めてくれ、わたしを必要としてくれる職場が見つかるに違いない。

何の根拠もないけれど、そんな楽観的思想を抱いてました。

その結果。。。。
最初に勤めた職場ではいじめられ、不可能な仕事を押し付けられ、やめざるを得なくなりました。
こんなわたしでも好きだと言ってくれる人に出会い、結婚したけれど。。。。
結局、その人は他の人に心を奪われ、いじめられ、追い出されてしまうことになりました。


なぜだろう。
わたし、こんなに頑張ってるのにって。。。。
何で?何が悪いの?
わかりませんでした。

今でもわかりません。
ただ、自分がバカでブスで何も取り柄がないっていうアピールをしてたから、
相手もわたしのことを、そんな人間だとラベリングしたに過ぎないんでしょうね。

こいつはバカでブスで無能だから、いじめたっていい、バカをバカにして何が悪いって。
こんな奴、どうせ他に相手にする男なんていないし、雇おうとする職場もないに決まってる。
だから、こいつは他に行くところがないはず。。。。って。

それに気づいた時、自分を卑下するのはやめようって、本気で思いました。

ちょっと気が付くのが遅すぎました。
残念です。

人より遅い、人生の再スタートを始めたばかりのわたしです。

2012年12月15日 (土)

子どもと会えてる当事者、会えていない当事者

以前、自分が面会交流ができていた頃。
息子に会えた日は嬉しくて、SNSに面会交流の様子の写真をUPしてました。
そして、親ばか全開の日記を書いてました。
もちろん、限られた範囲での公開です。

息子と会えなくなってしまった今、いかにその行為が無神経だったかを思い知らされました。


きちんと面会交流ができている人。
それはとても喜ばしいことですし、親子の絆を確固たるものにしていってほしいと思います。
特に、長い間会えていなかった方、厳しい制約下での面会交流をされている方。
親子の交流を持てた喜び、自分のことのように嬉しく思います。

離れて暮らす親子が頻繁に面会交流を行い、当たり前に育児を行うこと。
これがごく普通の、当たり前になって欲しいというのは私たち当事者の願いです。
なので、それが公開できる状況にある方は、可能な範囲、無理のない方法で、面会交流を行うことの大切さを広めていただければ。。。と思います。


だけど「子どもと会えない当事者」にとっては、「面会交流レポート」を目にすることが辛いこともあります。
もちろん「今会えない方も希望を棄てないで、面会交流の実現に向けて頑張って」というエールでもあることはわかります。

私も子どもに会うために、できることは頑張っているつもり。
だけど「あなたの努力が足りないんじゃないか」「あなたが子どもに会わせてもらえないということは、あなたがよほど悪いことをしたのではないか」と思われているのではないか、という気持ちすら抱くことがあるのです。

「そういう日記や写真、あえて見ないようにするという選択をしたことを怒らないでほしい」
そう思ってしまう私は、自分勝手で心の貧しい人間でしょうか。

2012年12月 2日 (日)

子供に会えない母親のつぶやき。

わたしが家裁に、面会交流の不履行について相談し、色々やり取りをしていた時に言われたこと。

「間接強制までやってしまったら、相手が怒って、余計に子どもと会わせてもらえなくなりますよ。」

…いや、むしろ、調停条項を守らない相手だから、間接強制をしなけりゃならない。そういう相手は、間接強制でも面会させないっていうことじゃないんでしょうか?

面会交流の前段階の試行面接、調査官調査、それから、第三者機関の利用。
みーんな、同居親の許可が必要。
いくら調停でよってたかって、相手を説得してもらっても、
「ダメでした。許可してもらえません。私たちにはそれ以上の権限がないので。。。本当に悪質な相手ですね!」
調停委員のお詫び一言。それで、おしまい。

わたしが強くでようが、下に出ようが、いくら親としてふさわしい人物になる努力をしているところを見せようが、相手の「子どもに会わせたくない」という気持ちひとつで、誰が何を言おうが、面会交流が実現しない。

調停委員の説得には、当然ながら、何の法的な力もない。
誰かさんみたいな相手に対しては、法的な強制力、絶対必要。

ちなみに、わたしについてくださった調停委員さんや調査官さんには、感謝しているのです。
別居の経緯に始まって、夫とのやりとりとか、本当によく理解してくれて。
それで、夫をよく説得してくれようともしたし、何も話そうとしない夫に、粘り強く付き合ってくれた。
でも、それがわたしたち親子の絆を守る結果には結びつかなかったのです。

このように、面会交流をきちんと実施しないということがまかり通ってしまう現実があるということが一番の問題で、家裁側も結果的に同居親寄りの対応をすることになってしまうというのを、改善して頂きたいものです。

まあ、あんまりこんなことを書くと、
「どうせ自分の勝手で家を出て行ったんだろう、それなのに子どもと会えなくて虚しいなんて、クズ親も甚だしい」
と思う人も一定数いるようですが、その方には直接会いにきて頂けましたら、今までの経緯をお話しします、その上でわたしが本当にクズ親か、判断して頂きたいです、と言いたい気持ちでいっぱいです。

2012年10月 7日 (日)

親のありがたみって…

どこかで以前にも書いたかもしれないんですが…。

親が昔8ミリで、小さかった私と弟の映像を撮っていたんですね。
特に弟が生まれてからは、母にかまってもらえなくて「赤ちゃんがえり」をする私の姿もあり、姉としては恥ずかしい気がしてました。

昔のことだから、今みたいにばんばん撮れないし、再生するのもビデオやPCにつないだりしてすぐ見られるようなものではありませんでした。
夜にカーテンを引いて真っ暗な部屋で、押入れのふすまをスクリーンにして、映画館みたいにして映し出してたものでした。
映写機からか、それともフィルムからか、独特の匂いが部屋に漂ってました。
たまに父親が休みの夜、それを一家で見るのが楽しみでした。

だけど、年月の経過に伴って、そんな時間もなくなってきました。
映写機自体も古くなって調子が悪くなったのかもしれません。
高価なモノだろうに、それにせっかく撮ったものなのに、貴重な記録が見れなくなってしまうのは勿体ないとも思いつつ、いつしかその存在も長い間忘れてしまっていました。

つい最近、「8ミリをDVDに焼いたよ。」と言って、それを親からもらいました。
弟の結婚がきっかけになったのかもしれません。

だけど、私は一回もそれを再生すらしていません。
嫌なわけではありません。
むしろ、うれしいのです。
それをもらったこと自体に満足してしまったのか、それとも、いつでも見れるものだから、と安心してしまったのか。


きっと、親もそんなものです。
「存在してくれること自体が既にありがたい」
だけど、親も歳を重ねていきますし、生きている以上どんな事態が起こるかわかりません。

「別れの日」はいつか確実に訪れます。
突然その日が訪れるのか、それとも少しずつ実感するものかどうかはわかりません。
せめて、後悔のないようにしたいものです。


また、自分の子どもにもなかなか会えずにいますが、
「生まれてきてくれて、元気でいてくれること自体が既にありがたい。」
ということも感じてます。
子どもにはがきを送ったりしていますが、見ているのかいないのか、一度も返事が来たことはありません。
だけど、子どもも「母ちゃんが存在してくれることだけで充分」と思ってくれていたら、それはそれでいいような気がします。


…かといって、「単独親権制度」「親子引き離しにおとがめなし」な現状でいいというわけではないんですけどね。

2012年8月15日 (水)

Lonelymother のその後

皆様、ご無沙汰しております。
長い間放置してきたブログですが、久々に更新してみようという気になりました。

ツイッターやmixiページなどを運営しておりますが、頻繁に更新したくなる時っていうのは、たいてい「うまくいっていない時」だと思ってもらって間違いありません。
「便りのないのは元気な証拠」と同じ論理です。

”Lonelymotners”の皆様から、色々な消息が寄せられています。

長い間会えなかった子どもさんが、父親の再婚相手とうまくいかず、母親に助けを求めてきて、母子で一緒に暮らせるようになったという方。

海外にいる子どもさんに会いに行き、宿泊先のホテルで親子水入らずの時を過ごし、一緒に泊まることになったけれど、長い間父親のいる自宅から離れたことがなかった子どもさんが途中でホームシックになって夜中に家に送り届けることになり、「子どものペースは大事にしないといけないなぁ」と感じたという方。

面会交流の再調停では調査官・調停委員に子どもへの思いを熱心に伝え続けた結果、父親を説得してくれることになり、良好な条件を確保したものの、結局その父親は音信不通になり、裁判所からの履行勧告の連絡も無視され、全く子どもさんと会えなくなってしまったという方。

娘さんが「お母さんに学校行事に来てほしい、一緒に暮らしたい」と意思表示をし、その件で調停を申し立てるも、「同居親が学校行事への参加を嫌がっている」等と調停委員に言われ、子どもの気持ちが全く無視されていると怒りを感じている方。


面会交流もできている方、できていない方。
子どもさんがメールや電話をしてくるという方、幼すぎてそれができないという方。
状況も色々です。


先日、考え事をしながらドライブをしていると、「那智の滝」に着きました。
息子のことを思うだけで悲しいし、行動を起こしても結果に結び付かないことが悔しくて、大粒の涙を流しながら走っていました。
夕暮れ時に、崖に大きな滝を見つけたときには、神様が私の代わりに泣いてくれてるのかな?とすら思えました。
親子の別離の苦しみも、いつか悲しみの世界遺産に変わることを願いたいです。

一日も早く、共同親権・面会交流の制度化が叶いますように…★

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