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思い出

2012年2月29日 (水)

思い出:腕を振る謎のおじさん。

今日は久々の休日。
久々にテレビなんかつけてみると、「子どもの防犯のため、1人のときは知らない人と2人きりでエレベーターに乗らないように指導する」などというニュースをやっていました。
自分が子どもの頃も、「知らない人にうまいこと言って話しかけられても、絶対に車に乗らない」「自販機の近くに置いてあるジュースの飲みさしを飲まない」など、教えられてきたものです。
今は不審者情報というものが、保護者の携帯メールに配信されるとも聞きます。
昔も今も、世知辛い世の中です。
ウチの子どもも、大丈夫でしょうか。普段離れているぶん、心配にもなります。

不意に、自分の子ども時代のことを思い出しました。
夕方になると、近所の道端で両手を上下に振るおじさんが現れるようになりました。
その表情はにこやかで、動きはまるでバネで動く玩具のようであり、しかも傍にはおじさんが乗ってきたと思われる大きなバイクが止まっており、それはそれは異様な光景でした。
私はスイミングクラブに通うバスからその様子を遠目に見るだけでしたが、絶対に近寄ったらヤバそうだよな、と子ども心に感じたものです。
しかしある日、誰かからこんな話を聞きました。
「あのおじさんはね、子どもが交通事故で死んじゃったんだって。それ以来、自分が交通安全の旗を振ってるつもりなんだって。」
私はその話を聞いて、「けんぼうは1年生」という、とても悲しい絵本を思い出しました。
それは、事故で幼い子どもを亡くした父親の物語です。
(詳細は忘れたけど、その内容をイメージするだけで今でも泣けます。)
それ以来、そのおじさんに対する見方も変わりました。
その話を知ってか、スイミングバスから男子が「おじさ~ん、がんばってね~!」と声を掛けると、おじさんも笑顔でこちらを向いていました。
その後、いつの間にかおじさんの姿も見かけなくなり、長い間そのことも忘れ去っていました。

震災、事故、病気。
さまざまな理由で子どもに先立たれるほど、親にとってつらく悲しいことはありません。
今、自分の子どもは元気にしているけれども、「すぐそばにいた子どもが、遠く離れてしまう」という寂しさを経験することにより、それまで以上にそのことを考えるようになりました。
勿論、実際にそのような経験をされた親御さんの苦しみが100パーセント理解できるとは申しません。
ただ、もしそういったお話を聞く機会があれば、そっと耳を傾けたいと思っています。


2010年3月17日 (水)

お誕生日おめでとう。

今日でキミも6歳を迎えましたね。

6年前の丁度今頃、キミはかーちゃんのお腹から出てきたんだったね。
手術台の上で、キミの元気な産声を聞きました。
お腹から出てくる瞬間を、とーちゃんも心配して、ずっと見守ってくれました。

「親父やぞ」
普段あんまり感情を出さないとーちゃんが、嬉しそうにキミに語りかけていました。
「ずっとアタシのお腹の中にいたのは、アナタだったのね?」
キミの顔を見て、かーちゃんはやっと安心しました。

帝王切開で産んだので、しばらくの間、身動きが取れなかったかーちゃん。
お腹の傷の痛みが凄くて、寝返りすらできなかったけれども、キミの顔見たさに、ナースコールを何回も鳴らして
「ウチの子を部屋に連れてきてくださ~い」と頼んだことを思い出します。
(病院勤めをしている今では、何と迷惑な患者さんだっただろうと思いますが。)

キミを抱っこすると、ふわふわして、小さくて、ずっとずっと離したくないという気持ちになりました。
でも、体力がなくなっていたかーちゃんには、キミの出生時3435グラムの重さが、ずっしり来ました。
「お腹の傷が開かないように、あまり重いものは持たない方がいい」
と看護婦さんに言われたかーちゃん。
「なら、赤ちゃんは持たない方がいいですか?!」
と聞いてしまい、看護婦さんに笑われてしまいました。

痛み止めの変な副作用や、お腹の傷の痛み、おしっこの管の違和感の中、かーちゃんはキミの顔を見るたびに
「なんてかわいいんだろう」
とついつい笑顔になってしまうのでした。
泣いてもかわいいとはいえ、おむつ換えや母乳でもなかなか泣きやまなかったキミ。
「ほら、飲み放題よ」
母乳をあげながら、ちゅぴちゅぴっと口を動かすキミの顔に、ついついにっこりしてしまいました。

今はすぐそばにはいられないけれども、心はずっと、キミに寄り添っていきたいと思っています。
生まれてきてくれて、ありがとうね。
かーちゃんは、キミに出会えて、とってもとっても幸せです。

2010年1月19日 (火)

子鉄とママ鉄。

朝、何気なくテレビをつけていると、「ママ鉄」という言葉が聞こえてきました。
何でも、「子供と一緒に鉄道を楽しむママ」という意味だとか。
近頃は、鉄道好きの親子で楽しむための情報本も出ているのだそうです。

私の息子も、ご多分に漏れず 「子鉄」への道を歩んでいました。
幼児向けの写真百科のような本で、蒸気機関車の写真をみながら「じょうききかんしゃ」と読んでやると、まだ2歳くらいだった息子はケラケラと笑うのでした。
お花や動物などの他のページには興味を示さなかったのに、とても不思議でした。
お気に入りのアニメは「銀河鉄道999」、好きな玩具は「プラレール」、休日の過ごし方は「電車を見に行くこと」、得意なものまねは「蒸気機関車の汽笛」、将来の夢は「車掌さん」と、息子の興味は鉄道一色でした。
私自身も「青春18きっぷ」などを使って旅をしたり、色々な場所に出かけて行くのが好きだったりしたので、息子の興味と見事にマッチし、しまいには自分が「鉄子」を名乗るようにもなりました。
イベント運行される蒸気機関車、街で走るチンチン電車、目の前をあっという間に過ぎ去っていく新幹線…
息子と一緒に楽しんだ列車は、数知れません。

あと、忘れられないのが「旅するハイビジョン 全国百線鉄道の旅」という番組です。
まるで自分たちが鉄道で旅をしているかのような臨場感と映像の美しさで、息子も私も画面にくぎ付けでした。
番組内で紹介された「SLばんえつ物語号」の回が親子でお気に入りで、いつか一緒に乗りに行きたいね、と話していたこともありました。
ただ、列車が運行される磐越西線までたどり着くのは、私たち親子にとっては、夢のまた夢でした。
息子がもう少し大きくなったら、いつか…と願っていましたが、果たしてこの夢が叶う日が来るのでしょうか。

息子と離れて暮らして2年余り。
別れたとき、3歳だった息子ももうすぐ小学生になります。
息子の興味は鉄道から、次第に車や飛行機などに移っていったようです。
その移り変わる瞬間を、間近で見守ることが出来なかったことが、母としては切ないです。
でも、「子鉄とママ鉄」として、家族で楽しんだ思い出は、いつまでの温かく私の心の中に残っていることでしょう。

朝の番組では、このような言葉で締めくくられていました。
「お母さんが心から楽しむことが、子供にもいい影響を与える」のだとか。
私自身も、珍しい車両や素晴らしい景色を無邪気に楽しんだあの日々の中で、息子の心に何かを残すことができたのでしょうか。

そして、「念ずれば叶う」「紙に書けば願いはかなう」という言葉を信じて、いつか「ばんえつ物語号」を息子と一緒に乗りに行くのだという夢を、強く持ち続けていたいものです。

旅するハイビジョン 全国百線鉄道の旅
http://www.bsfuji.tv/100rail/

「子鉄&ママ鉄の電車ウオッチングガイド」公式ホームページ
http://www.wildwoody.jp/mamatetsu/

2009年9月13日 (日)

胎内記憶。

今、私は息子と辛うじて月1回のペースでの面会を続けることが出来ています。
以前に比べると、触れ合う時間も格段に少なくなってしまっている今、逆に息子の成長に気がつくことが多くなります。
会うたびに乳歯が抜けていて、独特のユーモラスな表情が微笑ましかったり、絵の上達ぶりにビックリしたりします。
今月には運動会が予定されていて、保育園での練習に大忙しのようです。

さて、今日は息子との思い出話を。
息子が丁度3歳になったかならないかのころだったと思います。
以前から、子供の胎内記憶に興味があり、こんなことを息子に尋ねました。

「タケシ、生まれる前にかーちゃんのおなかの中にいた時のこと、覚えてる?」
「覚えてるぅ。(´▽`)」
「何してたのかな?」
「お風呂で、もぐってた。」

…ですって。
ホントかな?誰かが教えたのかな?
それとも、私がいつか口を滑らせてしまったのかな?

そんな疑問もなくはありませんでした。
が、やっぱり私は、「生命の神秘」を信じたくなりました。

今でも微笑ましくなるような、心温まる思い出です。

2008年10月26日 (日)

花咲く季節の中で

私が「かーちゃん」だった頃、仕事に育児に家事にと、日々生活に追われていました。
そんな中、私は季節を告げる花の美しさを感じることも少なくなっていました。

タケシが2歳から3歳になるころでしょうか。
保育園に迎えに行ったとき、駐車場のすみっこに咲いていたスミレを指さして、
「むらさきのはな。」
と言うではありませんか。
私が教えたわけでもないのに、保育園では季節のお花のことも教えてくれるんだなあ。
妙に感心しました。

3歳になり、タケシは認可外保育園から、近所の公立保育園に移りました。
家から自転車で、川べりの桜並木の道を通り、入園のときを迎えました。
毎日がお花見の気分で、それはとても贅沢な環境でした。

数週間経ち、桜の花が散り、緑の若葉の季節になりました。
タケシはそれを見て、
「変ったね~」
と不思議そうに言うではありませんか。
毎日、同じ道を通っているのに。
考えてみれば、季節の移り変わりを感じるということは、こう言うことなんだと思いました。

保育参観のとき、プランターに植えられていたサイネリアのような花を指して
「むらさきのはな。」
と教えてくれたり。

保育園にお迎えに行くと、園庭の野花をつんで
「ばーちゃん(夫の母)にあげるの。」
と、小さな手に一生懸命握り締めたり。

それ以来、かーちゃんも道端の花を見て、花の名前を教えてやったりするようになりました。

タケシのこんな感性を大切にしたいな。
かーちゃんは、ずっとそう思っていました。
一緒にいられなくなった、今でもそうです。

彼岸花も、金木犀の季節も終わり、すっかり秋が深まってきたね。
タケシ、今、君のそばには、どんなお花が咲いているのかな?

2008年10月23日 (木)

初めて覚えた言葉は

多分、1歳過ぎた頃かと思います。

タケシの初めて発した言葉は、「よいちょ」でした。
普通は「まんま」とか「まま」とか、そんな言葉を発することが多いと聞きましたが、
面倒がりの私が何かにつけて「よいしょ」と言うのを聞いていたのでしょう。

その後、「あっち」という言葉も言うようになりました。
文字通り、あっちへ行きたいとか、あっちのものをとりたいとか、そんな意味で使ってたと思います。
おかしかったのは、冷蔵庫の中のジュースか何かを飲みたくて、冷蔵庫をさして、「あっちー」と泣いていたこともありましたっけ。

保育園で覚えた「バス」と言う言葉が最初はうまく言えなくて、「ばっち」とも言ってました。

「かーちゃん」のことを、最初は「あーちゃん」と呼んでいました。

2歳くらいになると、次第に言葉も覚えていきました。

「助けてー」が「たっちゅいてー」
「お疲れ様でした」が「おつかれました」
「ごちそうさまでした」が「ごっそまいました」
「クリスマスツリー」が「ちゅんちゅくらいましゅちゅいー」

そんな面白言葉もいっぱいありました。

今思い出しても、くすっと笑ってしまいます。

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