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別居の経緯

2009年1月18日 (日)

タケシと離れて暮らして 12 とーちゃんの豹変

タケシとの面会が途切れ、1か月と少し経ちました。

私は意を決して、夫にメールしました。
すると突然、「夜に会えるか?」という返事がありました。
絶対に平日なんかに会いに来ようとしない夫のことだから、なんかあるな、と確信しました。

離婚の話を切り出されたのです。

近所のファミレスで、延々と夜遅くまで話をしました。
最初は世間話混じりに、普通に話をしていました。

「息子との面接交渉は、許す。母親としてはかかわってほしい。 今後は日を取り決めるなどして行う。 」

最初、夫はそう言っていました。
私も、半ば「離婚は仕方のないこと。私もそろそろ、解放されたい。」そんな気分でいました。
しかし、色々と話を進めていくうちに、だんだん夫もイライラしはじめたようでした。
「俺は仕事が忙しいから、早く決着をつけたい。だから、お前も協力してくれ。」と。

「それなら、ウチの両親との面会を許してよ。」
タケシとの面会を望んでいるのは、私の両親も一緒でした。
彼らにとっては、たった一人の可愛い孫です。
しかし、夫にとっては私の両親は気に入らない存在でした。それは許さないとの一点張りでした。

何で?
アンタの両親がいなかったら、タケシの面倒見れてないでしょ?
そんな言葉を、私は必死で呑みこんでました。

結局、話し合いは成り立ちませんでした。
夫は一方的に、私を説き伏せようとしていただけでした。
本当に同居中から変わっていない…言葉が出ませんでした。
しまいには夫は怒って、ファミレスを後にしました。

その後、携帯に電話しましたが、何やら興奮した様子で捨て台詞を吐き、一方的に切れるだけでした。

私は脱け殻のようになりました。
そして…数日後、調停を申し立てることを遂に決心したのでした。

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タケシと離れて暮らして 11 愚かな母親

別居してから半年頃、私はこんなことを思っていました。

何で私が、こんなに振り回されなくちゃいけないの?

タケシとの面会は、すべて相手の気分・都合次第。
気に入らない事があれば、外出先にも置いていかれたり。
全て夫に気を使い続けなければならないのは、同居中と一緒。

でも、タケシの為にはやり直したい。
だから、又私たちも仲良くしようよ…?
もう暴力振るわないで。意地悪なこと、言わないで。
そしたら、私も安心して戻れるから…。

私は夫にそんなことを切り出せずにいました。

同時に、夫に対して腹立たしい思いを抱えていました。
それは何と言っていいのかわかりませんが…言葉にならない怒りとか、もやもやした感情でした。
タケシと一緒にいる時も、夫に対するそんな思いがありました。

そんなので、タケシも幸せなんだろうか?
無理して会い続けることよりも、私はさっさと身を引いて、これ以上夫婦の葛藤に巻き込まない方がいいのだろうか?

そう思って、1か月ほどこちらから連絡を取るのは、やめました。
ゴールデンウィークの休日と、私の勤務日が重なってしまったこともありました。
新しい仕事で疲れきって、考える余裕がなかった面もありました。

本当にタケシと私のことを思ってくれているなら、いずれ連絡があるはず。
そう思っていた節もありました。

でも、夫からの連絡は、ありませんでした。
まるでこのままフェードアウトしていってくれたら…という感じでした。
私の葛藤は、ますます強まりました。

やっとの思いで、私は連絡を取る決心をしました。
最後にタケシと会ってから、1か月以上が経過していました。

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タケシと離れて暮らして 10 別離

別居から半年近くが過ぎました。
週末近くにならないと、タケシと会えるのかどうかが分からない生活が続きました。
とーちゃんとのメールのやり取りもだんだん憂鬱になりましたが、かーちゃんはどうして良いのか、わかりません。
全てはとーちゃんの気分・スケジュール次第なのだろうか?と不安な日々が続きました。

その日もそうでした。
前の日までは「会えるかどうかわからない。また連絡するわ。」という内容のメールが来ていて、かーちゃんはずっと、連絡を待つしかありませんでした。
そして、日曜日の朝になって。待ち合わせの場所に、あるJRの駅が指定されました。
タケシの好きな鉄道模型のあるお店に行くというのです。
相変わらず、急な話だなあ…と思いつつも、とりあえずほっとしました。

タケシはかーちゃんの姿を見ると、すぐに駆け寄ってきました。
家からは電車で1時間位かかったようです。
手には家から握り締めてきた葉っぱを、「かーちゃんにおみやげ。」と言ってくれました。
その後、中華料理店で昼食をとり、Nゲージで思う存分遊び、そして3人でお茶の時間を過ごしました。
タケシと二人で手をつないで歩くと、このまま連れていきたい…という気持ちになりました。

夕方になり、タケシととーちゃんは、家に帰ることになりました。
家に帰る快速に乗る為に、大きな駅に出ることになり、かーちゃんはそこまで見送ることにしました。
久々に親子3人で乗る電車。電車好きなタケシは、とってもいい笑顔になりました。

快速の始発駅で、二人は電車に乗り込みました。
かーちゃんは、ずっとホームから手を振りました。
タケシの表情が段々笑顔から、悲しげな表情にかわっていくのがわかりました。
かーちゃんもそれを見て、涙が止まりませんでした。
まるで、「もうこれで会えるのが最後だ」とお互いに思っていたかのようでした。
とーちゃんはしれっとしたような顔で、タケシの隣の席に座っていました。

電車が去ってから、かーちゃんは、駅のトイレでこっそり泣きました。

これを書いている今でも、涙が出てきます。。゜゜(´□`。)°゜。

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2009年1月17日 (土)

タケシと離れて暮らして 9 かーちゃんの思い

久々にこのシリーズを更新します。
一連の出来事が起こってから、1年くらいになります。
記憶が古くならないうちに、頑張って書きます。

タケシが退院してから、数回面会交流の機会がありました。
週末が近づくと、「今週はどう?」ととーちゃんに連絡を取り、前日になって「今日来て」「やっぱり今週はダメ」という返事が来るというものでした。
本当は、タケシとずっとずっと一緒に暮らしたいかーちゃん。
会えるのを楽しみに平日を過ごしているのに、直前になって「今週ダメ」の連絡が来ると、それだけで気分が落ち込んでしまっていました。

「今週は風邪をひいたから、家でゆっくり休ませて。」
そんな連絡が来た日、私はこう返信しました。
「それなら、私がお手伝いに行きます。」
しかし、返事はこうでした。
「身も心もゆっくり休めたいから(来ないで)」
私は絶句しました。別居中とはいえ、家族なのに。
この前は「物件持ってきた」と言って、家族3人で住むような公団住宅の間取り図も見せてくれたのに…?

せっかく会えても、「今日はこのあと、ウチの実家の親が来るから。」という理由で突然帰らされたりとか。
タケシは「かーちゃんとずっと一緒にいたい」と、手を離さないこともしばしばありました。
でも、ここで「何で?」と反論すれば、「俺に従わないならもう会わせない」と言われてしまうかも知れない。
それは何よりも恐ろしいことでした。

監護親の一方的な都合に振り回される非監護親。

この図式が、私の頭の中ですっかり成り立ってしまっていました。
いつしか、面会の連絡を取るのすら億劫に、そして辛くなってしまいました。

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2008年11月19日 (水)

タケシと離れて暮らして 8 お誕生日。

入院生活も3日が過ぎ、5日が過ぎ、そして1週間くらいが過ぎました。
タケシはいい加減ベッドの上の狭い空間での生活に飽き飽きし、次第にぐずり出すような感じになっていました。
点滴がつながっているため、お風呂に入ることもままなりませんでした。
体もあちこちがかゆかったのでしょう、ご機嫌斜めの日々が続きました。

ある日、点滴を取り換えるときになって、何かの拍子に血液が逆流し、タケシがずいぶん痛がって泣いたことがありました。
その時にはいったん回復の兆しが見え、「一回点滴をとって様子を見ましょう。」ということに。
そして、ついでにお風呂にも入ることになりました。
勿論個別の浴場でしたが、家のお風呂と比べて、とっても広々としたつくりに目を輝かせていたタケシ。
浴槽も新しくて、庭の池のような、曲線的な面白い作りをしていました。
最初は私は服を脱がずに「介助するだけ」のつもりでしたが、手もとが狂って服にシャワーがかかってしまい、思いがけず親子水入らずでお風呂タイムとなりました。
具合が悪いながらも、タケシは大喜びでした。
そんなひとときが、入院中に2回ありました。

しかし、点滴をとってからも、タケシの調子は完全に回復しません。
元気になっているかな?と思いきや、相変わらず脱水が続いているとのこと。
「点滴をがっつり入れましょうね」
小児科医のそんな一言で、タケシは再び点滴につながれる羽目になりました。
入院はさらに伸びることになりました。
保育園では丁度お誕生会があり、タケシもお祝いしてもらうはずでしたが、参加できないことになってしまいました。

でも、タケシのお誕生日を、かーちゃんと一緒にお祝いすることができたのです。
それはとても喜ばしいことでした。
私が持参していた絵本をプレゼントし、一緒に読んだりして過ごしました。
とーちゃんが夜にケーキを焼いて持ってきたのですが…タケシは生活リズムの狂いから、早々と眠ってしまっていたのでした。

その前の年は、かーちゃんはこっそり、タケシの大好きな「銀河鉄道999の車掌さん」のイラストを描いたケーキを注文し、家族そろってお祝いしたのでした。
その時のタケシがビックリしてケーキを見つめていた顔を、かーちゃんは忘れてはいません。
来年もきっと、また一緒にお祝いしようね!

その数日後、タケシはようやく退院の運びとなりました。
久しぶりのお外に、タケシの顔は輝いていました。
でも、帰りの車の中で、とーちゃんは言いました。
「タケシ、かーちゃんはもうすぐ電車で帰るからね。駅まで送って行こう。」
そのとき、タケシの表情がさっと変わるのが目に見えました。
私は、「又来るからね。今日はまず、しっかり休んでね」みたいな事を言うのが精いっぱいでした。

入院した日は冬に戻ったように寒かったのに、退院したとたん、春のうららかな日差しが降り注いでいました。

2008年11月16日 (日)

タケシと離れて暮らして 7 ロタウイルスの脅威。

タケシの家から、比較的近くの病院に転院できることになり、まずは一安心。
が、タケシの病状により、大層立派な個室に隔離の身となりました。
ロタウイルスの感染力の強さは凄いものらしく、病室には「面会謝絶」の札が貼られていました。

点滴につながれっぱなしで、熱がなかなか下がらず、食も進みません。
水分補給したほうが良いことは確かなのに、ほしがったりほしがらなかったり。
食後の薬をきちんと飲むと、シールを一枚ずつくれるのですが、タケシはそれを楽しみに過ごしていました。

テレビを見て、面白そうな観光地が出ていると、
「いってみたーい。かーちゃん、一緒に行こう」
と目を輝かせたり。
家から持参した絵本を読み聞かせたり。
折り紙で色々な動物やモノを作り、ベッドの上に並べて遊んだり。
タケシの病室からは、ちょうど真下に救急車が止まっているのが見えたり。
そんな親子水入らずの時間が、ゆっくりと過ぎていきました。


昼間は私が付き添い、夜10時位にとーちゃんと交代。
洗濯と休息を兼ねて、夫の家に行き、朝8時前には又病院に向かっていました。
そんな生活が何日か続きました。

夜は生活のリズムが乱れ、夜中の3時までアニメのDVDを見て過ごしたととーちゃんは話していました。
昼間は仕事で、夜間はタケシの付添。
とーちゃんもまた、大変な日々を過ごしていました。

2008年11月10日 (月)

タケシと離れて暮らして 6 入院生活が始まった

タケシが入院したという病院のある、山合いの町に着くと、夜の10時を回っていました。
辺りはお店も少なく、駅前には飲み物の自動販売機とタクシーが並んでいるだけでした。
昼間の春の日差しが信じられないような、ひんやりとした夜の風が吹いていたのを覚えています。

病院の場所がわからなかったので、とりあえずポカリを自販機で大量に買い込み、タクシーに乗り込みました。
すると、3分もせずに目的地に着いてしまい、多少拍子ぬけしたのでした。

病院の時間外出入り口に着き、ようやく院内に入ると、子供が疲れたように泣き叫ぶ声が聞こえてきました。
紛れもなく、それはタケシの声でした。
長い間、吐き気と腹痛で苦しみ、そして下剤を飲んだのでしょう。
なかなか思うようにトイレができず、苦しく辛い様子が扉の中から伝わってきました。

下痢と嘔吐を繰り返し、しまいには発熱。
入院は即確定だったらしいです。
ウワサには聞いていましたが、ロタウイルスとは何と恐ろしいのでしょう。

薄暗い院内で、泣いたり、そして少し機嫌が直ったりを繰り返していたタケシの表情が、今でも思い浮かんできます。
お部屋にアンパンマンやらトーマスやら、子供が喜びそうな絵が描いてあったのを見ると、タケシの顔が少し和らいでいましたっけ。

ベビーベッドが巨大化したような、柵が四方についた子供用ベッドのある部屋で、とーちゃんとかーちゃんは、不安と寒さの中、眠れぬ夜を過ごしました。
時々、「おなかがいたい」とタケシが泣くと、室内に置いたおまるやコモード型便器に座らせたりしていました。
熱の下がらないタケシと、私たちの不安を掻き立てるように、点滴の機械の音が、静かな部屋の中に響き渡っていました。

こうして3人で一緒にいると、離れて暮らしてから半年近くたつというのに、一緒に暮らしていた頃の感覚が、私たちに戻ってくるようでした。

その翌日、比較的家の近所にある病院に転院することになりました。
検査結果を持って、とーちゃんの運転する車に何時間か揺られながら、なつかしい町に向かっていきました。
その日から、私ととーちゃんは、タケシに交替で付き添うことになりました。

2008年11月 7日 (金)

タケシと離れて暮らして 5 突然の入院。

かーちゃんがタケシと離れて暮らすようになってから、半年が経ちました。
週末だけ親子3人での面会を続けていました。
が、相変わらず、その週の金曜にならないと、タケシと会えるのか会えないのかがわからない状態が続いていました。

3月の半ばを迎えました。
私は実家近くの会社に入社が決まり、介護のお仕事を始めることになりました。
いつか、また3人で暮らす日を夢見て、それまでのつなぎとして、しばらくの間そのお仕事をしようと思っていました。
そのことを伝えると、とーちゃんも喜んでくれたように…思いました。

でも。
丁度その週末も、タケシと会えない週末を過ごすことになってしまったのです。
かーちゃんは、悲しくて、淋しくて…。
色々な思いが、また頭の中をぐるぐるしはじめるのでした。

「タケシがお腹を壊して高熱を出し、入院することになった。」
その知らせを聞いたのは、次の週明けの夜。
奇しくも私が初出勤を果たしたその夜のことでした。

何度もとーちゃんと電話のやり取りの末、向かうことになったのは、とっても離れたところにある病院。
実家からは、電車を乗り継いで3時間近くかかるところにありました。
それも、タケシの家からも、車で2時間位かかるところでした。
何でそんな辺鄙なところに行くことになったんだろう?
そう思いながら、タケシととーちゃんが向かった病院のある、山の方面へ行く特急に乗り込んだのでした。

一緒に暮らしていたころは、タケシがお腹を壊したり、咳が出たり、熱が下がらなかったりしたことで一喜一憂し、病院に何度も連れて行ったことを思い出しました。
電話の向こうでは、タケシが苦しんで泣いているような声も聞こえたりしました。

かわいそうなタケシ。
かーちゃんは、もうすぐ行くからね。待っててね。

2008年11月 2日 (日)

タケシと離れて暮らして 4 週末家族

お正月の再会以来、月2回ほどの割合で、週末にかーちゃんが家に帰り、
以前のように仲良く過ごすことが出来ました。

その間、3人で公園やお買いものに出かけたり。
タケシの保育園の生活発表会を参観したり。

そんな何でもないような、幸せな週末が何度か訪れました。

でも…。
全て、とーちゃんの用事とか、体調とか、気分とか。
そんなことに左右され、直前にならないとタケシに会えるかどうかすら、わからないのです。

「今週末の予定は?何時なら行っていい?」
「今週は疲れているから、今度。」
そんなメールのやりとりが金曜日にあると、かーちゃんはショックで、悲しい土日を過ごさなければなりませんでした。

それから、泊りがけのつもりで行ったのに、突然「帰ってくれ」と言われたり。
そのたびに、タケシが寂しそうな顔をしたのが忘れられません。

「タケシ、とーちゃんの言うこと聞かないと、かーちゃんもう来ないからね!」
とーちゃんがそんな事を言って叱ったとき、タケシはえーんと泣き始めました。

そして、こんなこともありました。
タケシが、とーちゃんが怒って暴れて、家具を壊した時の事を覚えていたのです。
「そのとき、怖くってタケシ、えーんって泣いたんだよ。」

ソレを聞くと、切なくてたまりませんでした。
早くタケシと一緒にいられるようになりたい、と思いました。

でも、「万一離婚に至った場合、非監護親が親権を認められるのは非常に困難である」
という事実がまかり通っているという、悲しい現実があります。
たとえ、監護親がどんな人物で、どんな理不尽な主張をしていたとしても、
監護親と子を引き離すことができない、とどこへ相談しても言われたことを思い出しました。

なので、かーちゃんは、再び3人で暮らせるように頑張ろうと思いました。

2008年10月28日 (火)

タケシと離れて暮らして 3 奇跡。

かーちゃんは、ひとりぼっちのお正月を過ごしていました。
いくら実家で両親と一緒とはいっても、タケシのいないお正月なんて、考えられない。
空しくて、悲しくて…。

そんな気持ちでいると、実家の電話が鳴りました。
何と、とーちゃんから、連絡が来たのです。
「会えないか?」と。
かーちゃんは、不安と嬉しさとで、胸がいっぱいになりました。

待ち合わせのカフェでは、時間に少し遅れてとーちゃんが姿を現しました。
話も世間話くらいで、結局たいした話もできず、途中でとーちゃんは買い物の為中座してしまい、
しばらく放置されてました。
特に怒っている様子も無かったのですが、相変わらず考えていることがわかりません。
何なんだ、と思いながら、甘みのなくなったアイスティーをいつまでも一人で啜ってました。


約1時間後、とーちゃんは戻ってくるなり、
「タケシに会いに行くんだろ?」
と、想定外の言葉を口にしました。

そして、とーちゃんとは「これからのこと」を色々話しました。
タケシを今の環境のままでいさせたいということ。
そして、これから再び家族で仲良くやっていくということを…。

かーちゃんは、不安ではありました。
でも。
タケシのいない日々に比べたら、そんなこと、どうってことないかも知れない…
でも…
色々な事が、頭の中をぐるぐるしました。

その後。
結局、わずかな時間ではありましたが、タケシとの再会を果たすことができました。
夜に、とーちゃんの両親の実家へ迎えに行った後、かーちゃんの実家まで送ってくれる間、
1時間弱だけの再会でした。
10月初頭に会えなくなったっきりでしたから、丸々3ヶ月ぶりでしょうか。
やっぱり少し大きくなっていて、ショートヘアの女の子のように、髪も伸びていました。
保育園での計測の結果もついでに見たのですが、身長は103センチ、体重は確か18キロ位になってました。

タケシは以前より上手に話が出来るようになってました。
「おばちゃんかと思ったら、かーちゃんが居たからビックリしたよ。」
そうなんだ…離れている時間が長かったら、かーちゃんでも親戚の伯母ちゃんと同レベルの感覚になってしまうんだね。
あの時まで付きっ切りで世話をして、どこへでも遊びに連れて行っていたのはこの私なのに…と思うと、涙が止まりませんでした。

相変わらず銀河鉄道999が好きな渋い子供で、ずっと999のプラレールを手にしていました。
趣味が変わっていないようだったので、とりあえず少しホッとしました。
(いや、別に変わっててもいいんでしょうけどね。成長とか、友達の影響とかもあるでしょうし。)
車中、ずっと息子の話の相手をしていました。
それとも、タケシも眠いのに、頑張って私の相手をしてくれていたのでしょうか。

実家の前に着くと、タケシは私から離れたがる様子もなく、
「かーちゃん、バイバーイ」
と物分りの良い様子で別れました。

今は、彼らには彼らの生活があるのだな、ということを感じ、切なくなりました。

でも。ようやく、私にも本当の「お正月」が来た気分になりました。

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